●今月の一冊 2005年●

【12月】天使墜落 ラリー・ニーヴン/ジェリー・パーネル/マイクル・フリン 浅井修訳
創元SF文庫 ISBN4-488-65408-8 (1997/06/27) \552

SFです。
 思うに、SF(分野)には3種類(3レベル、ではない)あって、次のようなもンです。一つは、考えられないくらい元気で強くて、飛んだりはねたりしてまわるもの。スターウォーズとか、マトリックスとか、スーパーマンとか。一つは、尋常でない環境があって、その下で人間が右往左往するもの。ソラリスとか。もう一つは、新しい環境変化に対して、人間という種が存在を賭けるもの。しっかりしたパニックもの、小松左京の一連の長編とか。天使墜落というのは、この2番目のようなものですが、非常にまじめにふざけているという点で並の小説とは違います。

 近未来、科学技術を嫌悪し自然保護をうたう政権が支配するアメリカ、そこに宇宙ステーションのパイロットが墜落してくる。これを救って宇宙に返してやろうと奮闘するのが、今や虐げられる存在であるSFファンの一群。設定からしてまじめにとらえられるわけもないのですが、この分野での評価は非常に高い一方で、一般読者評は分かれてしまう、というか概して低い。環境保護主義者を一律に馬鹿者扱いしているとか、SFファンだけの楽屋落ちだとか、そういうふうに見て、見下しているようです。

 しかし、極端な舞台設定で特定のグループを悪役に仕立てるのは、むしろ普通の小説の方がひどい。内輪でしか分からないネタを仕込んでおいて、読んで分からないのは読者のレベルが低いとそっぽを向いているのは、いわゆる純文学とか私小説の類。特に高名な著者の、いかにも偉そうな短編私小説や随筆類には、目を覆いたくなるようなものがざらにあります。それを考えれば、欠点として指摘する事自体おかしい。と、思っているのです。

 背景やら技術的な問題やら、かなりの「ハードSF」に分類されるべきものと思います。単なる冗談と思ってほしくはない。書かれた時代(1991年)からこちらの政治的、社会的な変遷を見れば、SFの本質である(と信じる)技術批評、社会風刺、個人でなくヒトと世界の将来を見つめる視線が分かる一冊です。

 なお、確かに楽屋落ちがたくさん詰まっているので、最後の解説がないと分かりにくい部分、つまりせっかく書かれているのに気づかないままになってしまう部分があります。もったいない話ですが、そのこと自体も冗談の一部でしょう。

【11月】裁判の秘密 山口宏/副島隆彦
宝島社文庫 ISBN4-7966-1509-1 (1999/05/10) \552

 これまで幸か不幸か「裁判沙汰」になったことはないけれど、その「沙汰」とはいかなるものか。どうやら「地獄の沙汰」に通じるらしい、そんな読後感が楽しい(!)本です。

 そもそも裁判とは、まっとうな人間が理性的に行動することを期待した制度。ところが実際には、裁判制度も裁判所も弁護士も、すべて無力化していて何の効力もない。裁判の被告になるような相手は、そもそもまっとうでもないし、理性的な態度をとるものでもない。財産隠し、雲隠れ、開き直りなど日常茶飯事。これでは、強制力もなく、よけいな費用ばかりかかる裁判に期待しても無駄だというもの。

 たとえば、判決に従わない奴らに対して強制的に執行するはずの「強制執行」も、手続きばかり煩雑で、時間がかかり、しかも「裁判所関連企業、担当者」のために膨大な費用を出さなければやってもらえない。いや、始めてもらえない。しかも、始めたからといって、有効になるのは何年先になることやら分からない。泥棒に追い銭だ。財産隠しもおおっぴらで、知ってるはずの銀行どころか税務署すら情報を出すことがない。お役所は縦割りで、法務省に協力する財務省など存在しないというわけ。

 当事者の一人である裁判官にしてからが、「斬新な」判断、つまりすこぶる常識的な判決を出して「政府に反逆」したりすれば、即刻左遷されて実務からはずされてしまうそうです。これではいくら硬骨漢でも、生活がかかっていると手も足も出ない。300件以上も案件を担当させられていては、裁判中に居眠りする気持ちも分かるが、原告側にとっては許せないのもまた当然。

 これが、現役の弁護士が明かす裁判所の真実の姿だそうです。別に秘密でも何でもないのだろうが、書名としては秘密の方がよかったのかなぁ。

 現憲法を占領軍のでっち上げと断じ、民法刑法の類をただの翻訳だとこき下ろし、日本で民衆法として意味があるのはどこかのおばさんが勧める作法、慣習、すなわち「冠婚葬祭」だけだとするのは、どこかずれているとは思わせます。しかしその点を差し引いても、法律の無力、無意味を主張することに何の不思議もないのも事実。

 結論として、裁判に意味のあるのは金と時間に十分な余裕がある場合だけ。その余裕も、「十分」くらいでは不足しているということ。法律や裁判所に頼ろうと思うのが間違いで、実力行使しかないのでしょう。人生あきらめがかんじん、運命を受け入れないとやっていけない、そういう達観した説明もあり、読んでみる価値は十分。

【10月】抹殺された大東亜戦争 勝岡寛次
明成社 ISBN44-944219-37-7 (2005/09/02) \1,900

 今回は表紙写真はやめました。著作権の問題に今頃気づいたのも情けないけど、まじめに載せようとしたらどこかにまじめな断りが必要らしいので。

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 これまでは、毒になるものは敬遠して薬になるものを、という方針でやってきましたが、今回は「毒」です。まじめに受け取れば「毒」だけど、もうちょっと余裕があれば「トンデモ」か。

 アメリカ軍占領下の日本で、占領軍(GHQ)の検閲の元、どれだけの弾圧が行われ、戦前・戦中の思想が隠滅させられてきたが、その結果どれだけ事実が忘れられてきたのか、という調査結果の本です。

 大東亜戦争という名称が一切消されてしまったのは、日本の戦争の本質がその名称に現れていて、占領軍としてはその事実を隠すために徹底した検閲を行わなければならなかった、というわけです。新聞はもちろん、あらゆるメディアで消されただけでなく、占領軍批判の名の下に和歌、俳句の類までが消されてきていた。その「消され続けていたという事実」すら忘れられてしまっているのですが。
 確かに、実にあくどい検閲であり、その徹底ぶりはまさに洗脳の名にふさわしいものです。そして、今になってもその検閲のことを蒸し返すことすら忘れているほど、それほど教育が徹底している、ある意味みごととしか言いようがないほど。

 とここまでは、この本とこの著者と、そして自虐史観を糾弾する人たちの主張です。だから、ここでは事実と主張とを分けて考えるべきでしょう。

 当時の日本と当時の欧米とを、その言動という点で比較した時、いかにも大東亜共栄圏を目指すことが正義だということが出てきます。しかし、テキの本音と味方の建前とを比較したら味方が勝つに決まっているわけで、本来は比較にも何もなりゃあしない。これはほんの一部の比較論ですが、出発点からして都合のいい主張だけで完了しているのだから、後は分かるでしょう。
 天皇制の話にしても、天皇を敬い奉るのは本人の趣味としてかまわないけれど、周辺政治家を罵倒しておきながら、それを野放しにしていた当時唯一の主権者の責任に思いが至らないのが不思議。表が出ればボクの勝ち、裏が出ればキミの負けというパターン。

 1957年生まれの著者が旧仮名遣いで押し通している事自体、懐古趣味で過去がすべて正しく、現在がすべて間違っているというご苦労さんなものの見方を象徴している証拠でしょう。旧仮名遣いが正しいからすべてそれでなければならない、などというのは丸谷才一氏だけでたくさん。これを史書として評価してほしい、などというのも笑止。

 検閲という重い事実を苦労して調べ上げた点については賞賛に値します。しかし、事実とその解釈、主張とが整合しないという面白い例だと想って読まないと、引っ張り回されるだけになってしまいます。その意味で「毒」になりうる、貴重な本だと想います。

【9月】ブッダ論理学五つの難問 石飛道子
講談社新書メチエ 335 ISBN4-06-258335-6 (2005/07/10) \1,500

 ちなみに、価格は税別です。本に課税するなんてあきれた政策、税法だから。
政治資金が非課税なんて理由はないのに、なしくずしに非課税になっているのはもっとあきれるから。

 何の本だかわからないとは思うのだが、こういうところくらいでしか紹介される可能性がないような本だというのも理由です。仏教と論理学と歴史と宗教への関心と、そして好奇心がないと、この本に近づく機会などないだろう。ここのところ一般向け小説、お話を出してきたつもり。今回は小生の趣味が強く現れたもので、しかも新しい本ということです。買うかどうかは疑問だけれど。

 著者は古代インド哲学の研究者で、ブッダの時代前後を専門としているようです。決して宗教学者ではない。だからこそ、数々の仏典に依っているものの、その宗教的な面ではなく、あくまでも論理学や論争、ディベート(に相当するもの)、証明という点からとらえているのです。思い起こせば、論理学なんて、大学の教養部時代にちょっとやったかな、きっと。でも、数学の世界でも同じだし、アルゴリズム、数値計算の世界でも同じなのです。最近この手の厳密な証明(論)について考えたのは、クヌースの著作くらいですが。

さて、かんじんな五つの難問:

1.なぜ西洋論理学では因果を語ることができないか
2.ブッダはどのようにして一切を語るのか
3.語りえぬものには沈黙せねばならないか
4.因果の道を行くものはなぜ愚か者であってはならないのか
5.因果の理法によって生きる者には自己は語りえないか

 いかにも難問ですが、これについてブッダ自身がどう対処していたか、少なくともその直系の後継者がどう考えて、何を著作に残していたかを解読、解説してくれています。もとも、ブッダの時代に「西洋論理学」も何もないのですが。

 そして、読んでみてどうかと言うと、問題も多い。気宇壮大にして独りよがり、しかしその気宇壮大なところが大いに楽しい。倫理と論理は表裏の関係にあると、そう言われれば初めてそういう見方ができる。これまで分けて考えていたこと自体が問題だと分かるわけです。
 一方で、問題にしているのは西洋論理学ではなく、記号論理学の話だろうとも思う。しかし、記号論理学だからこそ機械化ができて、計算機が利用できるようになったのであり、これほど役に立つ技術もめったにない。因果律とこの記号論理学のブール演算とはまるで別の世界の問題であり、それこそ世界観、存在論が違っている。存在論に優劣もないと思うが、因果律を中心に考える方が難しいという主張には納得できるので、ブッダが2600年前に考えて結論を出していたという点は主張していいのだろう、主張することにも意味がある、と、まあ、こ
れが感想の結論であります。

 こうして考えれば考えるほど、仏教という宗教の存在は、他の宗教とはわけが違うとわかりますな。だとすれば、真理の存在と神の存在とが別のものだという証拠でもあるような気がしております。

【8月】三人の怒れる妻たち オリヴィア・ゴールドスミス
安藤由紀子訳
扶桑社セレクト ISBN4-594-04159-0 (2003/10/30) \930

 今回は女性向けです。

うたい文句はこのすごさ!

女たちの底力と恐ろしさを見せつける、男性必読(!?)の痛快コメディ!
結婚記念日に、夫から浮気の事実を告げられたアンジェラ。仕事をしないうえに愛人までいる夫に財産を奪われる危機に瀕したジェイダ。そして、ドラッグ・ディーラーである夫のせいで、世間の冷たい視線にさらされたミシェル――夫のせいで辛酸をなめていた三人が、ろくでもない男たちへの復讐を誓い合う!

 妻を食い物にする男は同情に値しないのだが、それにしてもやりすぎじゃないか。男どもやったこともひどいには違いないが、やり返す方もそれなりにひどいものだ。無知が罪だというのはそのとおりで、加害者意識がないのはただそれだけの理由で有罪ではあるのだが。ネタバレになるけれど、接着剤だけは勘弁してくれ。

 さて、同じ著者には「ファーストワイフクラブ」という前作があります。これは映画化されていて結構面白かった。出ていた面々が、
 ベット・ミドラー Bette Midler
 ゴールディ・ホーン Goldie Hawn
 ダイアン・キートン Diane Keaton
 マギー・スミス Maggie Smith
 サラ・ジェシカ・パーカー Sarah Jessica Parker
という豪華さで、見た人もあると思うが、感想やいかに。

 この最初のネタは、金で復讐する話。今回は暴力と破壊で復讐。次回はさらにエスカレートするらしいから恐ろしい。これは誇張ではなくて、この恐ろしさ、耐えられるか、というほど。
 昔から、復讐は負けがひどいほどその快感も増す。モンテクリスト伯を見るまでもなく、つらい時間が長いほど、また長く執拗な反撃が続くのだ。しかし、情けないことに、モンテクリストさんも「神の愛」に目覚めてフニャフニャになってしまう。金色夜叉の貫一君にしても、当初の意気込みはいいのだが、結局は大甘のおっさんと化してしまうのはナゼ。これに比べると女の恨みというやつは。

【7月】イギリス発 日本人が知らないニッポン 緑ゆうこ
岩波アクティブ新書 121 ISBN4-00-700121-9 (2004/08/04) \780

 子供たちは夏休み。親父どもに休みなし。それでも土日は休むぞと、映画に行ってきました。夫婦50歳割引で見た「アイランド」、期待以上でした。めでたしめでたし。
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 今回はイギリス本です。
 というわけで、まず質問:あなたの知るイギリスとは?
 紳士の国、世界でもっとも開かれた王室、紅茶、料理はまずい、アイルランド紛争、こんなとこですかな。小生、ヨーロッパにも行ったことがないので分かりません。じゃあ、逆にイギリス人の知る日本とは? その答えの一つがこの本です。
 ところで、本を紹介するにあたり、「なるべく」似たような本も読むことにしているのですが、その例として候補から落ちたヤツ。

 ■これでもイギリスが好きですか? 林信吾
    イギリス在住の日本人が辛口で見たイギリス。
    それでもイギリス大好きな著者だそうです。3枚舌外交に恥も感じられない。

 ■イギリス式仕事と人生の絶妙な知恵 渡辺幸一
    これもイギリス在住ながら、成功したビジネスマン。
    そりゃ仲間はみんなエリートで、立派なイギリス人だろうよ。

 そして、本命はこちら。「教科書で紹介される日本」といった例もあるけれど、この本はマスコミに出てくるものを集めた結果だとか。

 ■イギリス発 日本人が知らないニッポン 緑ゆうこ
 岩波アクティブ新書 121 ISBN4-00-700121-9 \780 2004/08/04

 イギリスのたちの悪さ、というよりも、無知蒙昧ぶりがよく分かる。
 マスコミ、書籍に見る日本のイメージは、未だにフジヤマゲイシャシンカンセン。アングロサクソンがすべてにおいて優秀で世界の残りすべてをリードするという信念と、イギリスが世界の中心でありその下に従うアメリカを除けば、世界のすべては東の方の蛮人という意識。世界を啓蒙して世界のためにはたらいてきた偉大なイギリスに対して、イギリス人を捕虜にして虐待した日本人は悪の帝国であり、50年たとうが100年たとうがそれに変わりはないのだ。
 逆に、イギリスマスコミに指摘されている日本の悪習は、それだけのことはある。特に警察、裁判の関係の権力志向と一般人抑圧と保守性とは、悪意を持って見られて当然の部分であろう。
 別にイギリスを非難したいわけじゃない。イギリスだからといって礼賛する必要はないし、日本だからといって非難する必要もない。どこにだってそれなりのいいところもあれば悪いところもある。地元でよく知っているところの悪癖は我慢できるのかもしれない。遠方でよく知らないところの美点はより美しく見えるのかもしれない。
 外国の代表例として、イギリス人は日本と日本人をこう見ている、というだけのことです。他の国だって似たようなものでしょう。逆の立場も同様。好き嫌いのレベルでなく、事実として面白いと思って知っていれば、現地に行ったときにもよけいな摩擦はおきないかもしれない。渡英の前に読んでおこう。

 以下は歴史のおさらいです。こんなことは教わった覚えはないかもしれないが。この本に出てくるわけではないけれど、基礎知識として。
 英国が世界中で植民地を平和理に経営し、土人を使って利益を上げる一方、その未開な土人に教育をほどこし、正しい宗教を教え、そして病人を助けて、世界を平和に導いていたころ。ある時、突如凶暴な土人の一族が英国の植民地を侵略し、多数の英国人を捕虜にした。その土人は国際条約を無視して捕虜虐待を繰り返し、まともな食事も与えなかった。その闘争が終わった時、英国人は土人の侵略の当初に英国軍を圧倒した土人のリーダーを、その残虐さを理由に処罰した。

 イギリスという王国で世界を見ると、こんな風に見えるのでしょうが、実態や如何に。(以下は正確でないところがあります。ま、たんなる戯画ですな。)
 英国人は植民地を平和理に経営したか。然り。植民地経営は実に難しい事業である。その地に先住民がいるのだから、その土地をとりあげ、抵抗する先住民を殺し、生き残ったものを労働力として管理・使役しなければならない。
 英国人は土人を教育したか。然り。英語を教え、英国の法律を守ることを強制し、従順なものに報酬を与えて優遇する一方でその仲間の土人を管理させた。特に優秀な土人を英国本国に移送して英国のための成果を上げさせた例もあるが、そうした土人は客死しただけだった。こうやって植民地経営を効率化したのだ。そうでなければ強力な軍隊を駐留させ続けなければならず、コストが上がってしかたがない。
 英国人は正しい宗教を教えたか。然り。英国教というキリスト教の一つを強制し、現地の土着宗教を圧迫、禁止、迫害した。
 英国人は土人の病人を助けたか。然り。現地風土病にかかった英国人を治療する一方で、もともと現地には存在しなかった各種の病気を英国や他国から多数持ち込んで、その病気を治療した。当然ながら英国人の病状よりも現地人の病状の方がはるかにひどかったはずで、その幾分かを救った。
 土人の一族が侵略して英国人を捕虜にしたか。然り。日本帝国の南方軍が英国軍を圧倒して敗北せしめた。英国軍は反撃もそこそこに、撤退するのではなく捕虜になった。英国軍を駆逐するという日本軍の計画は崩れ、想像を絶する数の捕虜が発生した。
 土人は捕虜を虐待したか。然り。日本軍は国際条約を徹底しておらず、一般兵士は何らの知識もなく、自らが受けていたように捕虜を扱った。日本軍内では虐待があたりまえだったので、捕虜も同様に虐待された。
 土人は食事を与えなかったか。然り。捕虜は英国内と同様な待遇、食事を要求したが、日本軍内でも食料が不足していて、多すぎる捕虜には十分なものはなかった。日本軍の通常の食事である雑穀やゴボウの類が与えられ、それが木の根を喰わせた虐待とされた。なお、英国軍に捕虜にされた日本兵には、砂混じりの家畜飼料が与えられていた。ちなみに、東南アジアではこうした慣習が残っていて、警察の檻での食事はアジア人と欧米人とではっきり分かれているそうな。前者が雑穀スープなら後者はレストラン並だとか。そうでないと訴えられるのかも。幸いそういうところにごやっかいになったことはないので、真偽のほどは不明。
 英国人は土人のリーダーを処罰したか。然り。戦争初期に英国軍を圧倒し、マレーの虎と恐れられた将軍を、英国軍を敗北させたという理由で有罪にした。軍隊が命令によって戦争行為を行ったものに対して、それを理由に裁いた例はこれ以外にない。

【6月】軍事のイロハ 別宮暖朗
並木書房 ISBN4-89063-179-8 (2004/11/25) \1,800

 6月は仕事も忙しくて出張もあったし、トラブルも多くて気分も悪かったし、雨も多かったし、目の調子も悪くなったし、6月の一月で読んだ本の中にはイチオシと呼べるようなものもなかったし、前に大見得切ったくせにだらしないし。など数多くの理由により遅れてしまいました。
 6月はBB(バットマン・ビギンズ、以下同様)は行ったけど、SW3(ROTS)には行けなかったので、そのうちにと思ってます。LOTR3部作は劇場で見た後、DVD(SEE)を買ってしまったけど、SW1/2とSW3も。いや、この際6作分まとめたDVDにしてしまうかも。今の楽しみはこれくらいですな。かつて名作もパート2はダメという至言がありまして、その例外がSW4と5。いや、あれはトリロジーだから2番目じゃないんだとか。今回の123がパート2でありましょう。その意味ではLOTRはトリロジーで一つ。A(想像あれ)のA2も例外だったが、以降はひどい。TとT2も例外かな、その後は悲惨。これ以外はほとんどあてはまるでしょう。
 おっと、映画談義は「専門家」(せんもんか、すんもんか、しんもんか)にまかせることにして、本の話を。
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 論旨はきわめて明快。国家は国民の利益を目的に存在しているのであり、政府や軍が国家の利益にならない戦争を選択することはありえない。戦争は、敗者にとって悲惨なだけでなく、勝者にとっても利益より損失の方が大きい。共産主義、独裁者のみが、国策として戦争を推進する。戦争の歴史を正確に解釈したうえで、これを事実からの結論としている。たいへんわかりやすく、しかも納得できる説明である。あまりにも極端に整然として攻撃的であるがゆえに、おそらくは半分は間違っているに違いないとすら思わせる、その点が難点であろう。だから、怪しいところを探してしまった。

 問題は、国家の利益を合理的に考えるはずの政治家と軍人、特に政治家の方が、それほどまでに理性的で道徳的であるかという点である。自らの利益を国家の利益、国民の利益に優先する連中がいるのが明らかであり、そうした政府が戦争の得失を評価した時に正しい結論に至るとはとても思えない。コイズミが政治を単なる自民党政党内の勢力争いの道具に使って恥じないように(キョン2ならいいのに)、ブッシュジュニアがテキサスの一党の利益を優先させるだけのための理由付けに飽きないように(ブラジルにも黒人いますか、と聞くようなオッサンだ)、独裁者と変わらない不合理な政治が進められている以上、その国が戦争または戦争以上に悪い状態におちいるのも不思議ではない。たとえばベトナム戦争の利益を享受した代表はヘリコプターのメーカーであり、中東の戦争の利益で笑いが止まらないのは石油を扱う企業が筆頭だろう。石油を掘り出す側も、使う側も利益はないのに。戦争と軍隊を維持するためのコスト、補填のコストは膨れ上がる一方で、軍隊を無駄には消耗させられない。正確な軍事情報を得るためにはさらに高いコストが必要になるので、そのコストを惜しむあまり、不正確な情報、情報の誤差の評価がないがしろにされて、無駄な破壊が進む。たとえば、ピンポイント攻撃をニンテンドー戦争で行うための基本情報は衛星写真じゃ無理で、現地に潜り込んだ007かローカル情報が必要なんだが、それがどこまで信用できるだろう。こうしてようやく、一般人の被害、軍隊以外の被害の方が大きくなる時代になったのだ。

 最新の条件を考えると、その主張の前提が変わりつつある、変わってしまっているかもしれないが、特に過去の戦争を理解、評価するためには、この本にある知識は必須のものである。政治学、地理学、歴史学、科学史、その他の広い分野にわたって、戦争の意味と回避を考えるための教育が必要だっただろうに。日本では戦争に関する情報が偏っていると言わざるをえない。正攻法で考えるためには、この本のような基礎知識が必要である。ゴーマンかました右翼思想かぶれの本を読むより、この本の方がよほど大事だし正確だ。実は、小林ノーテンキ本はちゃんと読んだことがないんだけどね。どうせ読むのなら、こちらの方を推薦します。

【5月】人類はなぜUFOと遭遇するのか カーティス・ピーブルズ
皆神龍太郎訳
文春文庫 ISBN4-16-765125-4 (2002/07/10) \952

 まさか、いまごろUFO信者なんて脳天気がここにいるとは思えないけれど、あの胡散臭さは、抵抗しがたい魅力にあふれていることは間違いない。しかし、今回紹介するのはUFO存在の証明ではない。

 UFOという妄想が生まれ蔓延する、妄執そのものの生態を正確に調査検証した、記念すべき本。
 自らの主張は検証を許さずにすべて正しく、批判はすべて嘘だと決めつけるやり方は、単なる被害妄想と偏執狂に過ぎないが、それがまさしくUFO教の実態。単なる間違いや明らかな詐欺行為を次から次へと本物として認定し、その説明が拡大発散して自己矛盾していてもそれと気づかない。ロズウェルの円盤墜落や宇宙人の解剖フィルム、ミューティレーションもチャネリングもアブダクションも、すべてが捏造の上に成り立っている、その証拠を列挙してある。それにもかかわらず、相変わらず同じネタが新発見の真実だと称して繰り返し繰り返し現れるのは、要するに一次資料にあたって確認するというあたりまえのことすらできないマニアとマスコミの拝金主義の結果でしかない。少しでもまともな精神の持ち主であれば、こうしたことが信じられるはずもないのに。

 この本を読んでそりゃそうだと思うのは、直接一次資料に当たって検討するという基本的な態度そのもの。それがなければ、何かを調べたとか研究したとか言う資格などない。たとえばだよ、誰かの伝記を書こうっていう時には、その生誕の事実を確認することから始めるべきであって、誰かが先に書いた本を並べかえるというのは意味がない。UFOをはじめとする超常現象については、その一次資料の検討がなされた例なんて、この本以外ではなさそうだからねぇ。
 この本を読んで初めて知ったのは、その筋の権力争いのすさまじさ。XXXオタクなんてのは常に共同戦線をはっていて、お互いの主張がいかに矛盾しているかということすら考えないものだと思っていたら、さにあらず。足の引っ張り合いは日常茶飯事だということ。いやはやねぇ。
 この本を読んであきれるのは、常習の犯罪者が金のために次から次へとガセネタを捏造しては、あっさりとバレてしまっていること。こんなものに大金を出すのは日本のマスコミくらいしかないだろう、そのレベルの低さには感心するほど。いやいや、科学的な態度、理性のレベルの話ではなくて、金のためなら何でも平気でやるという倫理レベルの問題でねぇ。

 さて、一次資料を調べたとしてもさらにその裏付けをとるためには、独立した二つ以上の情報源にあたることになる。たとえばの話、「サンケイ新聞」と「諸君!」に出ていたからと言って、複数のリソースだとはいいにくいわけだ。政府発表と日銀の数字と日経の記事が一致していたからと言って、客観的に証明したとは言えない。出どこは小役人の鉛筆1本だろう。
 客観的なあらゆる証拠が都合が悪い、そういう立場にある超常現象信者は、そのすべての情報源がまとめて影響される強い力を見つけだして、そのせいにするのが大好きだ。政府だ、軍だ、CIAだ、ユダヤ人だ、宇宙人だ、巨大企業だ、悪魔だ、その謀略だ、証拠隠滅だ、資料隠匿だ、捏造だ、脅迫だ。こうした主張を繰り返している様子が生き生きと描かれているのがこの本。

 信じてても信じてなくても、懐疑派でも敬遠派でも、読んだ方がいい。

【4月】逃げる悪女 ジェフ・アボット
吉澤康子 訳
ハヤカワ文庫HM ISBN4-15-174553-X (2005/01/15) \940

 なるべく新しい本にしておこう。これまで小説のたぐいが少なかったから、普通の小説にしておこう。シリーズものなら少なくとも人気が続いている、ある程度の評価がされているという保証があるようなものだろう。賞をとったのならますますいいか。こんな視点で残ったのがこの本になります。ジェフ・アボット作モーズリー判事シリーズの3作目。

 アメリカで判事というのは意外にあっけないもので、住民投票で選ばれた若者が判事として仕事をする。つまり、家庭裁判所から地方裁判所くらいのレベルで公式に判決を出すというのがすごいところ。もちろん、本人が立候補して、それなりの得票があるくらい地元で有力か有名な一族か、というところだろうけれど。
判事の件はシリーズの最初から読まないと面白みが少ないという問題があるけれど、実際にシリーズ1、2、3作の順番に読んだもんで。

 さて物語は、子供の頃に自分を捨てた母親を捜し出したはいいが、その母親はギャングの金庫番になっていたという大騒ぎ。しかも麻薬取引にからんで危険な連中が次から次に。果たして金を盗んだのは誰だ、という謎解きも含めて読ませるものです。

 難点が二つばかり。物語も終わりになってようやく、実はコイツが裏切り者でというドンデン返しがやってくる。これは3作共通で、これで劇的な展開を見せたつもりなんだろうけれど、ろくに伏線もないものだからどうかと思う。もう一つはアクションのつもりなのか暴力シーンがきたない。香港映画のワイヤーアクションみたいな痛さならまだ許せもしようが、後までじくじくとしみるつらさはたまらない。

 このへんに目をつぶれば、お話はめでたしめでたしで無事に終わります。各種の賞を受賞し、シリーズが続いているくらいだから、問題にはならないのでしょう。後はお試しあれ。

 月に2回ほど図書館に行って本を探すのですが、そのときに気になるのはシリーズものなのに最初の方の1、2冊だけが抜けているもの。途中から読み始めるのがどうにも気になって、結局借りられない。たいがいは、いくら待ってもその欠落の本は戻ってくることもなく、読むチャンスなどこないのです。こうして、数々の有名シリーズに手を出せないままで終わってしまう。全部自分でそろえるくらいしか対処の方法はないけどね。

 さて、今年の読書計画はいかが、いや進捗はいかが。当方、この4ヶ月で50冊以上は読んでます。1日で読めるような新書、文庫が多かったけど。連休ってのは本は読まないねぇ。ぼんやりして過ごしたい、長い時間がとれるから、長い映画を見たいもんで。たくさんこなすこつはないけど、何時読んでいたかというと、通勤時間と、勤務先での昼休みというところ。出張の移動時間という場合もあるけど、出張で長いと寝てしまうので。後は読み飛ばし。50冊あったとしても、読み飛ばしで十分という本もけっこうあるもんです。実は今回の本も500頁以上あるけど何日もかけていない。速読ではなく、話を「ヨむ」んですなぁ。

【3月】技術と人間の倫理 加藤尚武
NHK出版 ISBN4-14-084023-4 (1996/01/20) \1,068

 あちこちの大学の教科書・参考書によく使われている、どっかの大学の学長の著書。専門家の手になると、よい教科書ができるものらしい。
 中学ではさすがにこのテの授業はなかったが、高校では倫理社会、そして大学では一般教養で倫理学とか宗教学とか、いろいろと受けた記憶はある。それ以来、ほとんど気にもしていなかった倫理の世界だが、別に忘れていたわけではない。政治家には倫理などまるで関係ないとしても、人間としては十分に意味があるのだと。
 もう50歳に近くもなっていると、自分の仕事についての自信も、職業についての自覚だってあるわな。そして技術者の端くれとしては、その技術の現状と過去将来について一家言あるわけで、偉そうな言いぐさに対しては生来のへそ曲がりが顔を出す。

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 主張の中心は、無邪気な科学礼賛と狂信的な科学排除との両者に対する批判。しかし、まともな議論なら極論の間にしか存在し得ないことはあたりまえで、ここで急に偉そうに両方をバカ扱いしてもしかたあるまい。盲目的な信仰は、その対象が宗教と神だろうと、科学と技術だろうと、何だろうとほとんど意味をなさないのだから。

 そもそも極論というのは、問題点を強調するためのレトリックか、あるいは何も考えていない批判するにも値しない無知か、どちらかであろう。それをことさら目の敵にしても自らのレベルを下げる結果でしかない。
 愚にもつかないことを延々と語るだけ。古今の哲学者の言動をあれもこれもと長々と引用し、かたっぱしからケチをつけてこき下ろすばかり。科学技術についての素養も知識もないものだから、もってくるのはマスコミ受けする派手なお話ばかり。例にしたつもりでもまるで意味をなさない。哲学というのはこんな放談なのか、哲学者というのはこんないいかげんな職業なのか、と感心してうらやましいと思っていたら。
 著者の紹介を見ると、その専門はジョーク。そう、これは技術社会を批判したジョークだったのだ。そう考えれば、やっと意味が分かる。哲学者、倫理学者としてはこんな科学技術社会などまじめに扱うだけの意味がないと思ったのか、正面から取り組むには力不足だということを認識したのか、はたまたもっとも効果的な表現手段を使ったつもりなのか。その真意は分からないにしても、問題の一つはその文章だろう。いかにも哲学者然とした、固い面白みもない言い回しの連発は、それ自体をパロディとしているのでない限り効果を半減させてしまう。

 さて、これを読む価値があるかと聞かれたら、そりゃぁあるさ。正面切ってであろうとなかろうと、問題提起されることがない見方なのだから。

序 章  二一世紀文化への課題
第1章  鉄腕アトムの人間性
第2章  印刷術と火薬と羅針盤
第3章 「進歩」という観念の進歩
第4章 ガリヴァーのタイム・トラベル
第5章  印刷からベルト・コンベアへ
第6章 「モダン・タイムス」は何を批判したか
第7章  ハイデガーの技術論
第8章 「苦海浄土」−人間性への問い
第9章  環境破壊への警告
第10章 江戸時代の森林保護思想
第11章 ターザンの倫理
第12章 スモール・イズ・ビューティフル
第13章 ヴァーチャル・リアリティと情報の倫理
第14章 遺伝子療法の「倫理問題」
第15章 科学と倫理−鉄腕アトムとターザンの対話
第16章 環境教育と文化の未来

 これだけの内容をまじめに読むと疲れるよぉ

【2月】浮かれ三亀松 吉川潮
新潮文庫 ISBN4-10-137624-7 (2003/08/01) \629

 柳家三亀松の伝記

 昔の典型的な芸人の一生で、ほとんど信じがたいほどの神経をしているというのが分かる。

 その都々逸をカセットテープで聞いたことがあるというくらいで、実際の芸の中身や様子も知らず、どれだけ売れていたかもまるで知らなかったが、昭和30年代後半まで、その世界を支配していたに等しい。まさに芸能人でなく藝人の典型なのだろう。
 星の数ほどもあるエピソードが話のすべてで、それだけでもこの本ができてしまうところがすごい。むろん解説によれば、「星の数ほどもあるエピソードだけにのまれていない」などとしてほめてはあるが、しょせんはその星の数に圧倒されていることに間違いはない。しかも、三亀松をスーパーヒーローとしてだけ描いているのは、結局人間らしさなど考えていないということか。高子夫人ができすぎで、本当にしても嘘臭い。

 昭和30年代から40年代にかけて、ラジオを聴いていたとは言っても、自作ラジオで短波の国際放送ばかり。都々逸がどうしたなんて聞いたこともなかった。
 今こうしてテープなどで聞いてみると、いかにのんびりしたものだったかがわかる。よほど心身ともにゆとりがないと、聞いていられたものではない。
 時代うんぬんよりも、生活そのものに余裕を感じているかどうかという問題じゃなかろうか。もうこんな年になっているのに、こういう世界は相変わらず遠いまま。ひょっとして、都々逸うなれる同輩あれば、機会あればぜひ。

【1月】ナンバの効用 小森君美
徳間文庫 ISBN4-19-892118-0 (2004/09/15) \571

 整体動作がカラダを変える

 まずはテスト。壁の前に、つま先がつくように立ちます。そのままひざを曲げて体をさげていって、壁にはりつくようにしゃがめますか。やる前に注意。寄りかかれるような壁であること。障子や襖では危険。体の後を片づけて、クッションなど置いておけば安全。
 後にひっくりかえることなく壁にはりついたままなら合格。「整体動作」ができているのだそうです。

 ナンバも一般化して、この著者も少年チームを「ナンバで躍進させた」として有名です。ナンバは右手と右足が同時に出る歩き方、と思ったらそれは甘い。歩き方に見られる体の「さばき方」と考えるのがよさそうです。
 ナンバ関連の本もサイトも腐るほどあって、それぞれが本家本元を名乗っています。それぞれが何とも怪しげな理論付けで優劣を競っている様子。この本も例外ではないのですが、説得力はある方でしょう。「整体動作」という表現ですべてを統合した体の動きを論じています。

 50キロを平気で歩く剛の者、諸姉諸兄にあっては今さら歩き方の指南でもないのは承知。何と言っても、本を読んでそれを伝授するだけは愚。本を読むのは自分で考えるためです。ここでナンバついでに歩き方の考え方の一つを。

(1) 手を元気良く振るのは無意味です。左右の足が交互に出る以上、上体・上腕が揺れるのはしかたないのですが、あんな重いものを力をこめて振ってどうしますか。
(2) 足を元気良く持ち上げて振り出すのも勧めません。すり足気味につま先を意識して出すと、歩幅がのびます。だいたい、足というのは筋肉のかたまりで重いのだから。
(3) 体重は前に、しかし前傾はしない。腰が押されたように前に進んで、それから足がついてくるような感覚になります。
(4) 蹴るのではなく、体重移動で進む。階段を降りるのと同じ要領で歩くのですが、分かるかな。
※注意1 想像以上の速さになります。くれぐれも人にぶつからないように。
※注意2 肩を意識しすぎると姿勢が悪くなり、チンピラ歩きになります。やめよう。