サラリーマンは期末から新しい期です。新しい組織になったり、新しい仕事になったり、そんな期待がある人もいるかもしれない。
サラリーマンじゃなくても、期末から新しい期です。めでたく新しく学校に入るとか、進級するとか、夢と希望に満ちた(きっと)子供たちがいるかもしれない。
どういうものか、小生は何も変わらないし、子供たちも順調に進級するだけで、平和なこと限りなし。ただ、引退が近づいたと思ったら、何でも世の中定年退職がのびるらしくて、ありがた迷惑もいいところ。
ひょっとして、もし、今、新たにキリスト教に帰依しようと思っているのなら。
あるいはまた、もし、今、どの宗教でもいいから心の平安を求めているのなら。
こんな本もいいのかもしれない。
逆にまた、もし、すでに特定の守護天使がいて問題も何もないのなら。
さらにまた、学生時代の宗教学を思い出しては仏教やらいろんな宗教のことを考えているのなら、小生のように。
この本を読んだらそれなりに考えるかもしれない。 |
おっと、この先を読む前に、まずはほかの「ごくまっとうな紹介」を読んでおくか、あるいは本そのものを読んでおいてほしい。例えば、
「BOOK」データベース
出版社(講談社)からのコメント
アマゾンのカスタマーレビュー
などなど
さて、感想は
キリスト教の神を自称する人物が、他の宗教に難癖を付けて矛盾をあげつらいこき下ろす。その一方でキリスト教の問題については何も答えずにはぐらかす。相手が間違っているという根拠は、自分が神だから。そして、相手が間違っているから自分が正しくて神である。自己撞着もいいところだが、それに感心して納得してしまう主人公は、そのまま著者の姿だろう。
実にいやらしい、最低の本だと思うのだが、これを読んで心が洗われると思う人がいるとか、米国内でベストセラーになったとか。まさに、キリスト教徒のための本。
もっと分かりやすく紹介するならば、これはキリスト教のどっかの宗派の勧誘パンフレットです。いかにも人好きのする人物が、主人公を夕食に招待して、有名な教祖その人だと自己紹介。カウチでなく、食卓で精神分析をしてくれます。
もちろん、自らの宗派を宣伝するためだから、他の宗派、宗教をおとしめることに何の躊躇も根拠もいりません。対する主人公は、初めこそ懐疑的なふりをしますが、しょせんはパンフレットのこと、たちまち説得されてめでたく勧誘は終わります。
実は、宗教者のこうした態度というのは、別にキリスト教に限らない話のように思っています。本質的には宗教者というのは信念のあまり攻撃的なのね。攻撃的に見えないとしたら、別のもの、カネとか権力の方に攻撃的なのよ。
父の葬儀にからんで坊様から話を聞いた時の感想が、実際こんなもんでした。それで完全に仏教浄土真宗大谷派から足を洗ったのよ。その時、附中の(現在の)教師の態度が悪いとかいう話まで出たのはご愛敬。これじゃぁ、お寺が分かっちまうか。もちろん、我らが同窓の坊様は偉い方ですから、こんなことはありません(きっと)。
キリスト教のこういう基本姿勢に対して、東アジアはアニミズムの世界だから、という何だかよく分からない、というより、無茶苦茶な議論をしてくる本がありましてね、その名も「一神教の闇」。お楽しみに。