蘇った思い出 1 (投稿者:3−3 竹原)

鈴田君の軽快なメールを読んでいるうちに強烈な記憶の回復が起こりました。手術中に「ムフフ!」と不気味に笑ってしまい、誠実で厳しい外科医のイメージはガラガラと崩れ周りのスタッフは心の中で2・3歩下がっていました。

思い出したことというのは、嵩下、本多、関、大場、鈴田、竹原等のオカルトチックな下校時の奇妙な行動です。

この奇妙な集団は道路上や学校の中にある重いもの(朝礼台、バス停の標識等)を見ると瞳をぎらつかせ走り寄り、胸の前で「しわとしわをあわせて幸せ」ポーズを取りそれからにんじゃのように人差し指だけを伸ばし目的物の下に差し込み、全員心を一つにして「えい!」と指を上げるとあーらふしぎひょいと持ち上がるのでした。

学校の運動場、校門、船型試験場の横の側溝の中を走り、本原方面へと徘徊し手当たり次第に試したものでした。
周りの地元住民からすると気味悪かったでしょうね。

そう言えば、国語で習った紀貫之に因んで貴の一族などといって勝手に名前を付けていました。赤面しますね。

それと、佐々木達也くんの家に行きその当時まだ珍しかった8ミリヴィデオやカメラでプロレス技を撮りましたね、鈴田君!
あのころの写真はどこへ行ったのかな。

リングネームもつけてましたね。鈴田君は“タイガージェットシン"というばっちりなネーミングでしたね。僕は名前は忘れましたが、“スピニング・クルス・バックブリーカー”を十八番にしてた様な気がします。

あー、懐かしい…、また思い出したことがあればご報告します。