俳人協会 作品審査の結果報告  (NBC学園講師 永嶋寛延)

 御依頼の作品(平成15年12月〜平成16年11月)拝見しました。昭和46年3月卒業された 諸兄姉の姿をも想い浮かべながらの作品拝見となりました。33〜34年が経過した現在の 皆さんのご壮健の様子の作品に懐かしさとが湧き起こってきます。
  さて、作品を概観しての感想ですが、今回は感動するものはありませんでした。俳句 と川柳の違いについては、佳雲さんの指摘もあっているにもかかわらず、その区別 すら しないままに、作品だと作成して送付したものが多々あり、中学時代からの進歩の状況 はないといったほうがよいと思われます。
  創作の能力と意欲をもっている皆さんだけに、今回の作品は日本語の言葉遊びに堕し て、何ら自己制御のないままに電波を利用して作品だと送付したまでのものと言わざる を得ないのです。したがって、グランプリなどと言う言葉にほど遠いものでした。
  中学時代に「国語」を担当した者が、現在、各地で日本の伝統文化の最たるものとし ての短歌や俳句等を学んでいる方々の作品を考えますと遠く及ばないと言わざるをえま せん。  どうか新聞等の紙面に掲載されている作品等をご覧になって再度勉強されてから投稿 されてはいかがですか。参考に私の勉強会に御参加くださっている会員にお配りした 「歌は対象を立像化する」を御一読くださればと思います。

 作品にはその人の人間性が表れて、比較的に佳い作品だというものもあります。
それらの作品を次に示します。

   俳句 4月  花を敷き青葉を羽織る桜かな         
   俳句 5月  水の輪を緑の雫幾重にも
   川柳 6月  紅色のレンズの緑のすまし顔
   川柳 7月  侘びさびに今だに我は脂ぎり
   俳句    草むらを抜けて山百合艶やかに
   俳句 8月  夕涼み私の中の五感たち
   俳句 9月  秋の陽に干したる布団頬に当て
   川柳 10月  ごめんねと十七の恋今言える
          鏡観る娘心は柑橘系
          残されし幼き肩にそっと触れ
   川柳 11月  口答えする子の背丈迫り来る

 これらの作品に季語のあるものを俳句として考えないものを川柳としてみました

《総評》

 句の中に言外の効果を考えて、「結句」に強い表現、印象的だと自分だけで思っている表現が使われています。例えば、「桜かな」は、初句の「花」と重なります。「幾重にも」、「艶やかに」など、もっと自然体で歌うほうがよい句になります。

 そのなかで俳句として好感がもてるのは、8月の「夕涼み私の中の五感たち」。川柳では、「口答えする子の背丈迫り来る」「鏡観る娘心は柑橘系」でしょう。

 柿田君の多作には頭が下がりますが、内容と表現に吟味が必要でしょう。博多の竹原君の作品にみられるのは、俳句に力みがあるので、肩の力を抜いて前述のように自然体で対象を詠んでいくことでしょう。
 皆さん、今がスタートです。ものごとは、一朝一夕にできるものではありません。お互いこれまでの努力に、一工夫して努められることを期待いたします。それぞれに創作への意欲とセンスが伺えますので。
 佳雲さん、賀来さん二人の友を想うお心に敬意を表しつつ。