【12月】百億の星と千億の生命 | カール・セーガン 滋賀洋子・松田良一 訳 |
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新潮社 | ISBN4-10-519204-3 | (2004/06/30) | \1,900 | |
著者カール・セーガンは有名ですが、有名なだけに「読まず嫌い」で長く敬遠していた人物でした。それが、コスモスほかを読んで自分の愚かさに恥じ入ったしだいです。 カール・セーガンの絶筆。 −−多くの人達から、「死後の世界を確信しないでどうして死と向き合うことができるのですか」と尋ねられたが、「別に問題ではなかった」としか答えようがない。「弱い心」については保留するが、私は尊敬するアルバート・アインシュタインと同じ考えを持っている。『私は、自分の創り出したものを褒めたり罰したりする神や、我々自身と同じような意志を持つ神を想像することはできない。人間が肉体的な死後も生き残るということも信じられないし、また信じようとも思わない。弱い心の人達は、恐れや不条理なわがままからくる、そういう思想を抱いているがよい。私は、生命が絶えることなく伝わって行く神秘にふれたり、この世界の驚くべき構造を垣間見たり、自然の中に現れる真理の一端を、それがどんなに小さくとも、理解しようと一心に努力することだけで満足だ』 まさにこの保留した点において、カール・セーガンの人類への信頼が分かる。 |
【11月】標準の哲学 | 橋本毅彦 | |||
講談社選書メチエ235 | ISBN4-06-258235-X | (2002/03/10) | \1,500 | |
![]() 標準っつうと何を思い出すかって言われても困るでしょう。そう、規格だとか、共通だとか、一般だとか。同じサイズ、同じ組み合わせが許されるように、何らかの形で決まっているその決まりのことだと思えば近い。 標準がないと、似てるようで違うものを毎回毎回苦労して使っていかなければならなくなる。自動車の運転席が右か左かなんていう程度なら可愛いけども、コンセントの電圧が100Vだったり120Vだったりしたら、恐ろしくて使えない。デファクトスタンダードってぇ言葉もあるが、これはなるようになると思ったところが、自然に強いものが決まったという話。VHSやウィンドウズとかいうのがその例であります。 で、この本は、その「標準」という考え方がどこでどうやって始まって、どこでどうやって発展していったか、という話なのです。興味ないか、そうか。 んで、この本は「標準」の話なのですが、読んでいくと世界を見る目が変わるという点で推薦なのです。いや、別に「標準」を覚えなさいではなくて、次のようなつながりで。 標準=大量生産=軍事産業=アメリカ=銃の氾濫=兵器の輸出=アメリカの世界平和 いや、ホントの話です。今、堂々と死の商人になりたがっている日本政府と日本軍、日本の軍事産業はこれをまねようとしているらしい。 アメリカが世界最強の国になったその原因は、軍事産業の最強国だから。独立戦争でイギリスを追い出したはいいが、そのイギリスの技術隔離政策で産業の発展に問題を感じた米政府は、フランスの標準化を導入し、一気に産業に適用した。 この時代の産業でしかも政府の思い通りにやれて、さらに金に糸目をつけないとくればそれは当然軍事産業になる。そう、標準化というのはヨーロッパでもアメリカでも戦争のための道具だったわけだ。 銃も大砲も、列車も、工業機器そのものもすべてそれが大前提だったというのは、まさに気づかなかった産業の本質だった。 かくも一気に標準化に取り組んで武器の大量生産の実力を付けた国に対して、日本は標準化という発想がまるでなかったわけで、それだけでも技術的な遅れが明らか。 国力の差を広げた大きな要因の一つとして、精神論と名人芸があったということになる。 どちらも標準を許さない。 |
【10月】毒薬と老嬢 | ジョセフ・ケッセルリング作 海老沢計慶 能美武功 共訳 |
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今回は趣向をいくつか、順番に紹介することにします。本の写真がついていない理由もそこで。 1)この本は、小説でもハウツーものでもなくて、戯曲です。めずらしいでしょう。 2)この話は文句なしに面白い。有名な話ですから、少しばかり筋書きを紹介しても許されるでしょう。 3)映画で見た人もいるでしょう。ケイリー・グラント主演で、原作に忠実に作られています。実のところ、小生も映画を先に見て、読んだのはその後。本当は舞台を見ておきたいところですが、これまでその機会に恵まれておりません。映画にするととたんに面白くなくなる小説(日本だと顕著で、山田風太郎や半村良など、被害者は数多く)がたくさんありますが、これは映画でもちゃんと面白い。もちろん原作がよく作られていることもありますが、監督の腕が問題でしょう。さらに役者がよかった。舞台で受けたのと同じように、映画でも藝達者です。 4)これは本を読んだのではなく、青空文庫から入手したものです。知らない?ウェッブ上の電子図書館で、著作権の切れたものを中心に数多くの作品が入手できます。この話もインターネットからダウンロードして、適当に整形した上でパームパイロット(PDA)に載せて、細かい空き時間に読みました。必要なら 5)どうしても本当の本の形で読みたかったら、ちゃんと出版されています。手配すれば買えるでしょう。訳者は違いますが。どうせならビデオ(DVD)でも借りて見てもいいかもしれません。楽しみ方はそれぞれ。 |
【9月】求む、有能でないひと | G・K・チェスタトン 阿部薫 訳 |
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国書刊行会 | ISBN4-336-04619-0 | (2004/02/22) | \1,800 | |
いやはや、読みやすい本ではないし、その主張も単純に受け入れられるものでもないのだが、読めばそれだけのことはある。たまには歯ごたえのある本も読まなきゃ。それほど厚いわけではないし。 |
【8月】あたりまえのこと | 倉橋由美子 | |||
朝日新聞社 | ISBN4-02-257679-0 | (2001/11/01) | \1,400 | |
著者の倉橋由美子の小説なら、読んだ人も結構いることでしょう。小生の読んだごく限られた範囲では「大人のための残酷童話」、「怪奇掌篇」、「最後から二番目の毒想」、「交歓」があります。残念ながらいずれも10年以上も前のことで、記憶は定かでありません。「残酷童話」はグリムの原作に驚いた例の騒ぎのずっと前のことだし、内容はオリジナルな「例によって辛口」です。著者が最近あまり小説を出していないこともあり、心配しているファンもいるようですが、本人によれば体力の問題だとか。この本は、連載発表済みの小論の見直しだそうです。 小説論ノート、小説を楽しむための小説毒本。多くの小説がなぜ面白いかではなく面白くないか。名文とは何かというよりひどい文とはどんなものか。そんな話が入り口です。名文とはしょせん天性のものであり、技術や訓練でどうかなるような代物ではないと断言しており、中学校以来どう転んでもまともな文章が書けない小生などには救いであります。著者は辛口と称していますが、実際にこき下ろされたものが面白くない代表であり理解すらおぼつかない実例であることは明かです。また、文壇そのものへの言及も同様。小説の批評など、同業をけなすはずもなく、そこそこ引用して見せてそのあとは自分のコマーシャルを並べるにすぎないとあっさり切り捨てています。あるいは、歌壇もネームバリュー以上のものではないという立場。小生は同感ですが、ただのひがみかも。SFやファンタジーには目もくれません。小説は登場人物が成長し躍動してこそ意味がある。それ以外のものはしょせんただの時間つぶしにすぎないそうです。でも、SFの主人公は「文化」や「政治」、あるいは「社会」や「生命」であり、新しい環境変化の中で人間が右往左往することで「主人公」が変わっていくのです、って言ってもなぁ。 連城三紀彦と山田詠美の小説が名文だとか見事だとか言っているのですが、後者のどこがいいのやら、どうしても理解できない文章なので。(ちなみに山田氏は拙宅の近所にお住まいですが、面識はありません。)小林秀雄が出てこなかったのは小説の中にも小説関連にも含められなかったからでしょう。どうでもいいことをできるだけ難しく表現する才能、という風にでも言ってくれればいいのに。また、文体の遊びの意味で筒井康隆とか、丸谷才一などをあげてもよかった、というのが感想。 こうして長々と紹介すると、どうしても物足りない部分についての言及が多くなってしまいます。しかしそれも、読んで考えさせるところが多いからです。文章読本や名文についての本を読むのならおすすめします。 |
【7月】フロイト先生のウソ | ロルフ・デーゲン | ||||
文春文庫 | ISBN4-16-765130-0 | (2003/1/10) | \705 | ||
科学ジャーナリストによる精神分析批判、いや精神分析商売の批判か。トラウマ、多重人格、催眠術、自尊心、リラグゼーション、α波など、精神分析とその亜流の小道具の欺瞞をあばき、統計的にまったく意味がない、良くて無益、悪ければ病気をひどくするということが実証されている。中には同じ批判ネタの解釈が、差がないというものから反対の結果が出るというものまであって一貫していないという我田引水、押しつけぶりの問題もないではない。しかしそれでも、対照実験を含めた実証的な態度が科学的な批判として強力である。 かくも過激な主張なので反発も強いらしい。国内の書評を見ても、賛否両論。 内容は面白いが、独と欧米に偏っているのが玉に瑕。また、切れ味が良すぎて、返す刀で自分まであぶない。ほとんど「トンデモ本」の一歩手前か、ひょっとしたら半歩踏み込んでいるかも。 |
【6月】ハリー・ポッターの科学 | ロジャー・ハイフィールド | |||
早川書房 | ISBN4-15-208532-0 | (2003/12/15) | \2,200 | |
第3作も映画化、公開されてちょうどいい時期。ハリー・ポッターの世界(ローリングの世界)の魔法は成立するのか、その疑問の一部には答えてくれそうな本です。日本以外でも好きな人は好きなのねぇ。 著者はデイリー・テレグラフ誌記者。さすがに博識で調査が行き届いていますが、ハリポタの蘊蓄と、科学魔法宗教の最新情報の寄せ集め、と言ってしまえばそれまで。歴史上の幻想について最新の解釈を次から次へと示しては、科学と魔法の境界はあいまいなのだと説いています。麻薬にしても、最新の科学技術にしても、そして奇病の類にしても、出てくるネタは既知のものが多く新鮮味は薄いのですが、これだけの量を並べられると壮観ではあります。本の厚さもあるし、読み応えあり。ハリポタ本編の字の大きさと隙間にがっかりしている人にも、380ページはたっぷりでしょう。 ところで、ハリポタ本編も3作目は良かったけど、4作目はひどかった。5作目はもちなおせるのやら心配。 |
【5月】放浪の天才数学者エルデシュ | ポール・ホフマン | ||||
草思社 | ISBN4-7942-0950-9 | (2000/4/5) | \1,800 | ||
さて、世界中の数学者がひっかかったという確率の問題がこの本で紹介されています。3つの箱から一つを選び、残りの内のはずれ一つを開けて見せた後、当たる確率は乗り換えた方が上がる、という話。
そう、正解は3)、確率は上がるのです。では、いくつからいくつに上がるのでしょうか。正解の人もちゃんと計算したかな。1/3から2/3に上がる、つまり倍になるのですから、乗り換えて当然。 実はこの本にも説明があるのですが、分かりにくいうえに間違っています。結論はもちろん合ってますが。ヒドイ話じゃないですか。著者も数学者ですから、数学者の実力もよく分かりますナ。もちろん、エルデシュも間違えて、確率は変わらないと主張して譲らなかったようです。 この問題の面白いところは、乗り換えて成功した時の快感よりも、乗り換えて失敗した時の後悔の方が強力だ、という心理的な点にもあると思いますよ。 |
【4月】戦国15大合戦の真相 | 鈴木眞哉 | |||
平凡社新書193 | ISBN-4-582-85193-2 | (2003/8/20) | \760 | |
日本史の授業も、信長+秀吉+家康=江戸幕府三百年、というようなありきたりな話ばかりでなく、本当は、という話も欲しかった。 これで国語、英語、社会、と来たから、次はアレだよ。 |
【3月】手づくり英語発音道場 | 平澤正夫 | |||
平凡社新書208 | ISBN4-582-85208-4 | (2003/12/18) | \760 | |
正直なところ、このカナ書きそのものにそのまま従うというのはお奨めできませんが、音というものを考えるうえでは参考になること間違いなし。 期末、年末というのはサラリーマンにとっても忙しいもんです。 |
【2月】日本語の歴史 青信号はなぜアオなのか | 小松英雄 | |||
笠間書院 | IISBN4-305-70234-7 | (2001/10/30) | \1,900 | |
この本のネタはこんなことよりも、むしろ日本語、日本語史の研究の現状に対する悲憤慷慨を綴ったものなのですが、その点だけを読んでいたのでは一般読者としてたまったもンじゃぁない。読むべき点はほかにありました。 さて、青信号はなぜアオなのか。答えは、赤と対になるのはアオだから。 |